日蓮宗「本経寺」 住職 吉田英昭

本尊、鐘楼、墓地、寺宝

本経寺の本尊仏像は、慶長十一年の作、敷地境内地、寺有の山林、原野、宅地併せて三千坪である。昭和十八年まで現在の表門の横、五m平方の敷地に鐘楼があったが、戦時中金属回収のため応召して今はない。又、墓地に天良院殿妙栄日心大姉(延宝七年五月八日没)即ち篠山五代城主松平駿河守典信の長女千久子=永井権右衛門の妻の石碑がある。

又、この天良院殿菩提のための縦三m、横二mの釈尊涅槃絵像の掛軸が寺の什宝として格護されて現存している。掛軸の裏面に中藹腰元等、大奥寄進者名が書かれている。又、什宝には日蓮聖人御神筆略曼陀羅一、管公真筆紺紙に金泥筆の法華経断片、明治の画人獅山筆虚空蔵菩薩金泥絵像一兆禅師作、吒枳尼天絵像一日蓮聖人絵像等があり、王地山焼の妙見宮と染め付けの香台、同じく王地山焼の鶴亀藍色の短冊に一個一個本経寺と寺号の入った湯呑茶碗三十個があり、大正年間中国人により錫で掛けつぎ修理されて現存し、王地山焼青磁の香炉等も現存している。

本経寺の庫裡は篠山移築以来二百六十四年経った明治十六年荒廃したため、第十六世文邦院日慎上人建て替えを発意されたが、廃藩による檀家士族離散のため、上人自身籍に入る前の私有財産を処分されて資に当てられた。縁側には杉の丸桁を使い、天井板まで檜づくりとし、台所より内玄関本玄関まで二間毎に八寸角の欅柱をいれ、台所、内玄関、本玄関の六畳間は、一尺五寸厚みの二間物の角桁にて囲み、炊事場より内玄関に至る天井は松丸太の牛をはわすなど徳川・明治初期の建築様式にして現存している。

先住日遵上人は彫刻を得意とされ本堂内全ての彫物は上人の作になるものとして、永い年月を掛けられたとはいえ、価数百萬金を投ずと雖も誠心の現れに叶わず、その功績讃えるに言葉なし。

昭和五十六年十一月十二日、宗祖七百遠忌の日に、現住職が日菖師範の跡を継いで二十三世となり、平成二年六月、本堂及び庫裡の総屋根替えをする。







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